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F-4E  57th TTW → 57th FWW
此処のページでは渡辺師匠が集めたスライドコレクションから同航空団のF-4Eの雄姿を並べてみよう。
↑ 暗いヨーロピアンⅠ塗装になって以降のF-4E/68-0338。この機体は、ベトナム戦争時代432nd TRWの所属で2機のMig-21を落している有名なファントムである。多くの航空団で使われて、最後は、ミズーリ州空軍での任務を最後に引退している。ジョージAFBの39th TFSから移動してきた機体。
↑ 1979年には、既にネリスに現れたオーバーラル・カモフラージュ迷彩。尾翼の黒黄のチェッカーは、1980年ぐらいまでは、最先端に書かれていたが、後に少し下がった位置に書かれるようになる。F-4E/74-1621は、翌1980年にはスイモア・ジョンソンの4th TFWへ移動となった。
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↑ 1985年4月ネリス空軍基地で撮影されたF-4E/69-0338。インテークベーンに1つの撃墜マークがあるが、実はこの機体、1972年の5月と9月にベトナムで計2機のMig-21を撃墜している。ミズーリ州空軍で最後を迎え引退後はセントルイスで保管されているそうだ。
↑ 1982年1月にバックレイ州空軍基地で撮影されたF-4E/74-0661。機体下面まで迷彩が施されたオーバーラル・カモフラージュタイプ。
↑ 1978年9月ミラマー海軍基地で撮影されたF-4E/74-0645。一つ上の写真の機体とシリアルが2つ違うだけの同一ロットで作られたファントムで、74-0643と同じく 1978年に4th TFWへ移管。
↑ 1976年2月に撮影された57th TTW/422nd FWSのF-4E/66-0286。機首に機関砲が無い珍しいタイプのE型であるが、以前はアクロバットチームのサンダーバーズでも使われていた機体のようだ。
↑ 1975年8月ネリス空軍基地で撮影されたF-4E/69-7205。オーストラリア空軍が発注し納入が遅れたF-111の繋ぎとして1970~1972の間オーストラリア空軍にリースされていた経緯を持つ機体。1980年にジョージの35th TFWに移管されるが、同年カルフォルニア市郊外に墜落している。
↑ 1975年8月ネリス空軍基地で撮影されたF-4E/69-7210。見た事のあるシリアルと気付かれた人もいると思うが、そう・・G型に改造されてフィリピンクラークの3rd TFWにいた機体だ。
↑ 1985年4月ネリス空軍基地で撮影されたF-4E/67-0390。奥に見えるのは、恐らくレッドフラッグなどに訓練で飛来した海兵隊VMFA-312のF-4S。空軍も海兵隊も低視認性を競うように普及されていた時代である。
↑ 1985年1月に撮影されたF-4E/72-0140。オーバーラル・カモフラージュへ塗り直された際に、暗い濃緑色がオーバースプレーされており、全体的に非常に暗い迷彩パターンになっている。
↑ 1980年9月ネリス空軍基地で撮影されたF-4E/68-0400。1990年にジョージの35th TFWに移管され その後トルコ空軍に売却された。
↑ 1980年3月ルーク空軍基地で撮影されたF-4E/74-0658。1990年に早期退役し 予備機材として保管されたとある。
↑ 1980年9月ネリス空軍基地で撮影されたF-4E/66-0376
↑ 1976年7月ネリス空軍基地で撮影されたF-4E/74-0643。黄色いカバーが付いている部分は、コンバットカメラの筒。1978年にスイモアジョンソンの4th TFWへ移動している。